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悲しいという愛情 [etc.]


テレメンタリー2014
 「“3.11”を忘れない42 悲しみを抱きしめて」

見ました。



大切な 大切な人を亡くした人の当然の悲しみが、
復興の妨げであるかのような空気が、
本当に被災地にもあるとしたら、
悲しいことですね…


でも、皆さん、それぞれ、今を生きていこうとしてる。
誰だって大切な人を失った悲しみは消えないわけで、
その悲しみと、自分との向き合い方が
人それぞれで、
10人いれば、10の向き合い方がある
ということなのではないのかなぁと思ったのですが…



人の心は表面だけではわかりません。
他人からは全く悲しそうに見えない、
前だけ見て強そうな人に見えても
本当はその人も、
一人で泣いているのかもしれないのです。

だから、被災地の大切な人を失った多くの人が
悲しみを忘れてしまっているとは、
私は思っていません。

ただ、悲しみとの向き合い方が人それぞれ違うから、
自分の価値観を相手に当てはめようとするときに、
心の、感情の行き違いや、理解が足らない部分が
出てしまうのかな?と思います。

悲しみと共に、悲しみを抱えて生きるのも良し、
悲しみを抑えて生きるのも良し、
どちらが正しいとか、
どちらがいい、悪いなどありません。
それぞれの生き方、心の違いを
互いに認め合えばいいのだと思うんです。


悲しみと共に生きることは、
決していけないことではありません。
だから、いつまでも悲しんでいるのはおかしいなどと
自分の価値観を人に押し付けるのは違うと
私は思います。


11歳の息子さんを津波で亡くしたお母さんは、
あの日、仕事で子どもを助けられなかったという
自責の念を持ち続けていらっしゃいます。

私も11歳の息子を持ち、働いています。
息子を守れるのは私しかいません。
私が仕事で、息子が一人の時に、
もし大災害があったら、
私も助けに行けないかもしれません。
それで万一息子に何かあったら
私も死んでしまいたいと思うかもしれない、
一生、自分を責め続けるかもしれない。
母親とは、そういうものです。



いつまでも悲しんでいたら、
亡くなった人が可哀想、成仏できない。
そういう考え方もあるでしょう。
そういうお考えも一つです。

でも、
12歳の息子さんを震災で亡くしたお母さんが
仰っていました。

「愛してるから悲しい。
だったら、このとってもとっても悲しい感情は、
私にとって愛情なので、いくら悲しくても
ものすごく愛してることなので
この悲しいっていう愛情を
息子を抱きしめるように、
抱きしめて生きていこうと…」


悲しみという愛情もあるのです。


そして、
悲しみと共に生きる人も、
決して立ち止まっている訳ではなく、
精一杯、毎日を生き、歩んでいることを
私たちも周りの方も理解できたらと
思いました。





それから、番組の中で
震災後の心のケアに問題があったとして、
ある精神科医の方が、
「家族を亡くした人は喪失体験があり、
喪失体験は精神的障害ですよと言って
精神科医療に繋げて、投薬治療に繋げる。
それは大変酷いことですね。」

というお話をされたときに、
様々なパンフレットの映像が映ったのですが、
その中に、明らかにグリーフケアの
パンフレットがありました。

これは、誤解を招く映像だと思います。

震災後、どのような方たちが
どんな心のケアをされていたのか、
私にはわかりませんが、
誤解されないために念のためお伝えしておきますが、
グリーフケアを学んだ者として、
少なくとも私が学んだときには、
大切な人を亡くして悲しみの中にある方を
病気であるかのような接し方をする、
投薬治療を勧めるなどとは習っていません。

相手の方の気持ちを認め、
お話を誠実に聴ききる。

大まかに言えば、
そういうことを習ったと思っています。
念のため。



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