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歌のあとさき [etc.]

森山良子さんの特集でしたので
楽しみにしていました。

ジャズトランペッターのお父様と、
ジャズシンガーのお母様のもとに
お生まれになり、
いつも身近に音楽のある生活。
歌手になりたいという幼い頃からの森山さんの夢を
ご家族は応援してくれていたそう。

10代でフォークの女王と呼ばれることに
戸惑いながらも、
ポップスや歌謡曲もお歌いになっていかれます。



そして、大好きだったお兄様の早すぎる死。
あまりの悲しみに、その悲しみを封印されます。

それから森山さんはご結婚やご出産を経て、
27年後、BEGINと一緒に歌を作ることになり、
1曲のメロディーが入ったカセットを
受け取ります。
それが「涙そうそう」でした。

涙そうそうって、どういう意味ですか?と聞き、
涙が溢れてポロポロ流れる様子だという意味を聞いたとき、
森山さんは涙が溢れたそうです。
森山さんが封印していた悲しみが解かれた瞬間でした。

それまでお兄様を思い泣いては、
悲しみを引っ込めるということを繰り返し、
言葉にできない思いがあったそうですが、
たまっていた感情、
心の整理をつけることができ、詩にすることができたそうです。

「涙そうそう」が亡くなられたお兄様への思いが込められた
お歌だということは知っていましたが、
森山さんの深い悲しみの封印を解くのに、
27年もの月日を経ていたということは
初めて知りました。


大切な、愛する人を亡くした悲しみ、
それはとても言葉で言い表せるものではなく、
また、たった数年で癒えるものではないことを
あらためて思いました。



そして、森山さんの代表曲の一つとも言える「さとうきび畑」は、
作曲家の寺島尚彦さんが、沖縄のさとうきび畑で聞いた、

「あなたの足の下には、たくさんの戦没者の骨が埋まっているのです。」

という一言から作られた歌で、
寺島さんから、森山さんに歌ってほしいと
言われたそうです。

その頃、森山さんは21歳。
デビュー間もない頃で、
戦後生まれで戦争を知らない自分には
わからないことが多く、
あまりにも大きいテーマであるこの歌を
自分が歌うのはおこがましいと思いながらも、
周囲の方からの勧めで、レコーディングをされます。

しかし、自分の歌として捉えることが出来ず、
何年も歌うことが出来なかったそうです。


1991年、湾岸戦争が始まったとき、
森山さんのコンサートを訪れた森山さんのお母様に、
コンサートの感想をきくと、
お母様は、

「こんな時代に、愛だの恋だのばっかり歌って、
ちゃんちゃらおかしいわ。
あなたには、歌うべき歌があるじゃない。」と仰ったのだそうです。

この言葉で、
それまであった「さとうきび畑」を
唄うことへの迷いが消え、

いつの時代でも、この歌を歌い続けていかなければならない。

そう決意し、新たな思いでこの歌と向き合うようになったそうです。


森山さんは、「さとうきび畑」の11分という
時間について、

「普段は忘れがちになっている平和に対する強い思いを
みんな持っていると思うんですけれども
日常の中では、なかなかそのことを具体的に考える時間がない。
私も強く思いますけれども、
それをあらためて、そのことをみんなで考える、
一心にそれを考える10数分でもあると思いますね。」

そう仰っていました。




今まで何度も聴かせていただいている歌の具体的な背景を
今回、初めて知り、「涙そうそう」や
「さとうきび畑」への
私自身の捉え方が大きく変わりました。


とてもいい番組でした。



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