SSブログ

尊い生き方 [etc.]


「ザ・ノンフィクション 判決は“答え”じゃない」 を見た。

京都大学を出てビジネスロイヤーとして
初任給1500万円の会社の内定を蹴り、
社会的立場の弱い人たちのために仕事をしたいと
大阪の弁護士事務所に就職した
若き女性弁護士が担当した集団訴訟、
大阪・泉南アスベスト国家賠償訴訟。
女性が担当した55人の原告の中の一人の方との
3年の月日を追ったものだった。

集団訴訟には、一人でも多くの原告が必要と、
女性は裁判に乗り気ではなかった高齢の男性に
裁判参加を促した。

その男性と女性弁護士は同じ故郷、
広島出身ということもあり、
少しずつ打ち解けて仲良くなっていった。

2013年、大阪高裁での控訴審判決で
原告の訴えは認められたものの、
原告全員の勝利、救済ではなかった。

55人の原告のうち、認められたのは50人。
女性弁護士が受け持っていた男性は
石綿工場で働き始めた時期が遅いことを理由に、
請求が認められなかった。

弁護士の彼女は、
自分が裁判に引き入れたことを気にしていた。
でも、認められなかった男性、その奥様は
裁判長を責めることも、彼女を責めることもなく、
尋問の時の自分の言い方が良くなかったのではないか、
病状が思わしくなく、裁判所に行けなかったのが
悪かったのではないか、
自分がみんなの足を引っ張っているのではないかと
自分達を責めていた。

ご夫婦は孫ぐらいの年の弁護士の彼女にあたたかかった。


この時、私は人としての魂の清らかさ、
尊さを感じて涙が止まらなかった。

若い頃から必死に働いて、
さぁこれからというときに、病を発症。
石綿肺と診断され、治る見込みはないとされてしまう。
家賃2万円の府営住宅に住み、
慎ましやかな生活を送っている。

石綿工場での勤務が原因なのは明らかなのに、
国はその方を認めない。
それでも男性は
「国が決めたことだから仕方がない」と言った。

ご飯も食べられず、一日寝たきりの状態の男性。
社会的立場の弱い人ほど国は
手を差し伸べなければならないというのに
国が助けてくれなくても、
自分がどんな境遇、状態であっても
心を、魂を清くいられるというのは
どんなお金持ちや権力者や勝ち組と言われる
人間たちよりも
人間として素晴らしいし、尊いと私は思う。


最高裁まで争われた裁判。
そこに、男性の姿はない。
判決を見届けられないまま
天に召されてしまった。
結局、その男性の請求は最高裁でも認められなかった。
この時も奥様は、決して弁護士の彼女を責めなかった。

裁判を起こす、それは若くて体力があって
健康な人間であっても非常に負担が大きく、
精神的にもしんどいと思う。
それなのに、男性も奥様も自分の身や生活を削って
原告団の一員として闘ったのは凄いと思うし、
同郷の孫のような弁護士の思いに応えたかったのだろう。


人は、年齢や境遇に関わらず
自分の信念や気持ちしだいで
人として気高く、尊くいられるのだ。

それは、決してお金で手に入れられるものではない。

大切なことを教えてもらった。





nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:テレビ

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
馬鹿みたい全国大会へ! ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。