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長さじゃない [life]

 

先日、息子が寝る前に突然、
「笑って過ごすのが一番だよ。」だったか・・・
「笑って生きるのが大事なんだよね。」だったかな?
とにかく、そんなようなことを言ったんですね。

私もちょっと似たようなことを考えていたので、
びっくりしたんですけど、

何が幸せかなんて、誰かに押し付けられるものでも
決めつけられるものでもないんですよね。
それは他人からだけでなく、
例えば親子間でもそうだと思ってます。

親が子の幸せを願うのは当たり前ですが、
必ずしも、親の思う幸せが子どもにとっての幸せとは
限らないということ。
親が、どんなに「子どもの幸せのため」と思って
あれこれ手を尽くしても、
子どもには子どもの思う幸せもあるということ。

それから、「命」より大切なものはあるのかと問われたら

うーん・・・わからないんですけど、

「自分の命」より大切な「もの」や「こと」、
「時間」や「人」などがあるかと問われたら、私にはあります。

健康が大事で、命も大事。これは当然のこと。

でも、それを守るために、
かけがえのないもの、こと、人、
二度と帰らぬ時間などを犠牲にして、失ってしまっても、
それが幸せなことなのかどうか・・・。

先日、福島県のある小学校で、
子どもたちが線量計を首から下げながら、
午前中までの運動会が行なわれたニュースを見ていたのですが、
子どもたちも、保護者の方たちも
皆さん、本当にいい笑顔でした。

校長先生は、苦渋の決断をされたのだろうと思います。
「運動会を中止にするのは楽なことです。でも・・・」と、
仰っていましたから。

一方で、福島で運動会を行なうのはおかしいという批判も
一部かもしれませんが、ありました。
今も、福島(関東)から避難、移住しないなんておかしい。
そういうお考え、意見はあります。

でも、避難や移住がしたくても様々な事情で出来ない人もいれば、
初めから避難、移住する意思のない人など
状況や考えは様々にしても、
皆さん色々と考えられた上で、今いる場所を選択している
はずなのですから、そのことについて
福島(関東)の人を心から心配するわけでもなく、
移住や避難ができるよう手を差し伸べるわけでもなく、
ただ批判するだけなら、余計なお世話だよーという気もするのです。


運動会での、子どもたちやお母さん、お父さん、
おじいちゃん、おばあちゃんたちの
あの笑顔を見たら・・・
何て言うのかな・・・
単純に、避難、移住するのがいいとか、
何が最良で、何が幸せかだなんて私は言えないし、
まして、他人が決めつけるものではないなって思ったんです。

また、福島で暮らすある小学生の女の子は、
友達と離れるのが嫌。転校したくないと言っていて、
大人は、友達なんて転校先でもできるのだからと
つい思ってしまいがちですけど、
そうじゃないんですよ。
子どもにとっては、今、この時が大切だったりすることも
あるんですよね。

若い時、子どものときは、私もそうでしたけど
今、その時が全てみたいに瞬間的に過ごしたりする時期が
あったりしますよ。
大人からしたら、先回りして、つい、
もっと先のことを考えなさいって、言いたくなりますけど。

瞬間的に生きることが良いか悪いかではなくて、
どんなに健康で長生きできたとしても、
大人になった時に、あの頃に戻りたいと思っても、
もう時間は戻らないわけですから、
そういった何にも代え難い「今」を
大切にしたっていいんじゃない?とも思ったんですよね。

誰だって生きていれば、望まなくたって辛いこともあるし、
幼い時、若い時に病気に罹る人だっています。
自分の行ないや意思ではどうすることもできないことが
起きたりする、いつ起きるかわからない中で、
限られた時間をどう生きるかって考えたら、
悩みや苦しみは自分が望まなくともぽこぽこ生まれるわけだから、
だったら、自分にできることといえば、
一つでも多く笑える瞬間だったり、楽しいと思えるものを
自分で見つけ出したり、作り出していきながら生活する、
そんなことの積み重ねで、人生、まぁまぁ彩りあるものに
なるということだってあるんじゃないかなぁ・・・って。

いつまでも健康で、長く生きたいと願うこと、
それが幸せだと思うこと、それもいいと思います。

でも、「命は長さではない、どう生きるかだよ。」

これは、生まれながら重い病を抱えて生き、
辛い治療を乗り越えながら、精一杯生きて、考えて、
延命治療を拒否することを選んだある女性の言葉ですが、
彼女の考えや生き方も、私はとても理解できるのです。
現実は、それをわかっていても
自分の思いだけで生きたいように生きられるわけでは
なかったりもするんですけど、
でも、長さじゃないというのは、ホント、そう思います。

こういう風に綴ると、
先ほど挙げた福島での運動会の話から、
じゃあ、子どもたちを被曝させ続けていいのか、とかね、
極端なことを仰る方もいらっしゃるかもしれませんが、
もちろん、そう思っているわけではありません。
そういうことではありません。

ただ、あくまで、生き方について、
どのように選んで生きても、そのことについて
他人に批判されるものではないと思うし、
その人にとって何が幸せなのかって、
人から勝手に決め付けられるものではないよね、ということです。

 

 


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