どの命も [etc.]
多数を守るために
一部が犠牲になるとか、
犠牲になっていい命なんて
一つもないはずなのに。本当は。
でも、現実には
ずっとずっと昔から今も
たくさんの犠牲の上に 私たちは生きていて。
それはこれからも
繰り返されてしまうのでしょうか。
子どもの命を守ろう、
子どもの未来を守ろうって叫ぶ人たち。
他人の子どもの命だって
動物の命だって 植物の命だって
どの命も
自分の子どもを思うのと 全く同じに、
とまでは言わなくとも
近いくらい「大切だ」って思える心があって
ホントに守ることに
つながってゆくんじゃないの?
って気がするんだけどな・・・
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