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NHKスペシャル 東日本大震災「最後の避難所~原発事故の町 住民たちの歳月~」 [news]



福島県双葉町の方たちが避難し、
暮らしていた避難所、
埼玉県加須市の旧騎西高校は、
東日本大震災で2000以上設置された避難所の中で、
ただ一つ残っていた避難所でしたが、
今日、残っていた3名の方が退去され、
年明けには閉鎖されることになりました。


双葉町は、歌やお祭りが盛んな地域で、
子どもからお年寄りまで笑顔で暮らす町がモットーだったそうです。
避難所で暮らしていたある女性は、
若い頃から双葉での身の回りの出来事をカメラで撮り続けていて、
避難所でも常に撮っていました。

今では写真の中にしか残っていない
幸せだった町の、人々の姿。

こちらの女性は娘さん夫婦とお孫さんと4人で暮らしていましたが、
原発事故後、娘さん夫婦は県外で暮らし、
同居を誘われましたが、
迷惑をかけたくないと避難所で一人暮らすことにしたそうです。
しかし、町長が変わり、町役場を
いわき市に移転するにあたり、
避難所の閉鎖が現実的になり、
娘さんに「ここを出なくちゃならないみたい。」と、電話をするも
娘さん夫婦から、同居の話を聞く前に
女性は電話を切ってしまいました。
女性は、避難所近くの老人ホームに入居することにしました。


強い絆で結ばれ、出来上がっていた
コミュニティーは、
避難所閉鎖により、またバラバラに
引き裂かれることになり、
一人、また一人と避難所を去っていきました。


お友達の前では明るく、新たな旅立ちだから喜ばなくちゃ。と
避難所を後にするとき明るく振るまい笑顔だった別のご年配の女性は、
新たな住宅に入り、もう戻らないと決めたご自宅の御仏壇から
持ってきたご本尊様を新居の御仏壇代わりの場所に奉りながら、
「原発さえなければ、こんな生活しなくて済んだのに…。」と、
涙を流していました。


避難所から人がいなくなる中、
先は考えられないという、
ご兄弟がいました。
お母様と3人で暮らしていましたが、
お母様は津波で流され、今も行方不明でした。
それからというもの、ご兄弟は会話をしなくなってしまったそう。
お兄さんは、今も時間が止まったままだと話し、
弟さんは、震災時、すぐ傍にいたお母様が流されていくのを見ながら
助けられなかったと、
今もご自身のことを責め続けていらして、
月に一度、帰れるようになってから、
毎月のようにお母様を探し続けていました。

地震で怪我をして、津波が来る直前にご自宅を離れたお兄さんも
何故、あの時、お母さんと弟を残して
家を離れてしまったのかと、
罪悪感を感じていました。

刻々と、避難所の閉鎖が近付く中、
弟さんはお兄さんと暮らすために
新居を決め、住み始めますが、
お兄さんは一向に新居に現れず、
避難所に残っていました。
でも、今日、最後までいた3名が避難所を去り、
お兄さんも弟さんと暮らすことになったそうです。



皆で歌を歌ったり、仲間との暮らしの中で
一時は寂しさや悲しみを忘れることができても、
その寂しさや悲しみは、
やはり、全く癒えていませんでした。


これが、現状なのです…


どうして、何も悪いことをしていない、
ただ、普通に暮らしていた人が
ずっと苦しみ続けなければならないのでしょう。


岩手や宮城の被災地は、
大きな被害のあった所でも
様々なものが片付けられ、
更地が増えているのに、
帰還困難区域である双葉町は、
震災時から時が止まったままで、
家の中も、そのままでした。

もうすぐ3年という月日は経っているのに、
あの時のまま何も変わっていない、
その様子は、言葉になりません。






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