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予定変更 [odekake]



予報通り、お天気は[雨]
小雨ではなく本降り。
予定を大幅に変更して、
新大阪ではなく、
慣れてる京都で途中下車します。
京都に行かないと買えないアレも
買いたいし。

旅で雨だと、何が困るって「傘」
大きい傘はかさばるので、
折りたたみ傘を持って行きますが、
激しく降られると、濡れちゃうし。

それにしても新横浜駅、寒かったなぁ。
昨日はわりと暖かく、明日も晴れの予報。
なのに今日だけ雨って、
昨年もこういうこと、あったけど、
きっと、パワーが強すぎるんだね(^_^;)

帰りも無事、帰れますよーに。


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大津港&久ノ浜 [odekake]

 

いわきアリオスで行われました
てっぺいちゃんのコンサート、
「GROUND ANGEL in FUKUSHIMA
~TOMORROW~」に参加するため、
昨日は出掛けていました。

昨年、訪れた仙台もそうですが
普段、私がなかなかすぐに行くのは難しい場所で
コンサートなどがあるおかげで
そのような場所へ行ける機会、
きっかけを与えてもらい、
今回も北茨城やいわきへ行くことができたこと、
ありがたいなぁと思っています。

 

さて、昨日はお天気も良く、
上野まで電車が遅れることもなく到着し、
朝7時上野発のスーパーひたちに
乗車したのですが、
松戸駅手前で停車しました。
すぐに発車するのかと思いましたが
結局、45分遅れでの運行となり、
予定を変更しなければならなくなりました。

水戸で、常磐線の普通列車に乗り換えて
大津港へ行く予定でしたが、
スーパーひたちで勿来(大津港のお隣の駅)まで
行き、戻る形に変更。

ただ、都内のように電車の本数が
多いわけではないので、
電車が来るのを待つかタクシーで行くか
考えていました。

タクシーで行こうと改札を出ようとした際、
私の持っていた乗車券のことで、
ちょっと問題が発生してしまったのですが、
勿来の駅員さんが、
とても親切な対応をして下さいました。
東京ではそんな対応はしてくれないだろうと
思います。

結局、上り電車を待つことにし、大津港で降り、
タクシーで、映画「天心」のロケセットがある
五浦岬公園へ向かって頂きました。
車中でお話をした時、

「観光客は全然、戻ってきていない。」と、
仰っていました。

「東京で、映画の宣伝、頑張りますので、
こちらでも宣伝してくださいよー。」と話したら、

「ここは全然、人が歩いてねーもの。
駅前の観光案内所だって、開店休業みたいなもんだ。
天心って言っても、知ってる人は知ってんだろうけど、
他は何だか、よく知らねーべ。」と。(^_^;)

そうなんですよね・・・。
天心のことがあまり広く認知されてないですからね。
でも、竹中直人さんや中村獅童さんたちの
お力もお借りして、
何とか、広く注目してもらえるよう、
これからも頑張っていきます。


 

この日は撮影がなく、
ロケセットは撮影終了後もそのまま残され、
一般公開される予定ですが、
今はまだ一般公開していないので、
関係者以外、立ち入ることはできません。

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タクシーに戻り、六角堂のある
茨城大学五浦美術文化研究所へ向かいました。

 

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天心邸

 

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映画「天心」の
スタッフと思われる方たちが作業

 

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創建当初の姿に復元、
再建された六角堂

何とも言えない気持ちになり
込み上げてくるものがありました

 

 

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前回訪れた時から
約2年10か月ぶりの五浦の海

 

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もう少しゆっくり見たかったのですが、
電車の時間もあるので駆け足になってしまいました。
でも、再びここへ来ることができて良かった。

 

本当はこの後、10時台の電車で広野へ行き、
その後に久ノ浜へ行く予定でしたが
大津港から広野へ行く電車は
朝7時台と10時台の2本しかなく、
常磐線の遅れにより間に合わなかったので、
一旦、いわきまで行き、
いわきから広野行きの電車に乗ることに。

ただ、広野へ行くと時間的に厳しいので、
広野へは行かずに久ノ浜へ行くことにしました。
広野へ行って、自分の目で広野の町も見てみたかった。

帰りにはお土産を買っている時間がないと思い、
電車を待つ間に、お土産を購入。

 

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 奥は、大好きな「くるみゆべし」
柏屋さんのもちずり

手前は、福島の代表的なお菓子の一つ
三万石さんの「ままどおる」
職場の方へのお土産

 

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パッケージがかわいい

 

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くるみの下にも、リスの絵が

 

 

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こちらはホワイトチョコとビターチョコの
2種類があって
私はホワイトチョコを購入

サブレですが、
ずしっと重みのあるサブレで
中のチョコが半生
しっとりしていて美味しいです

 

 

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広野駅―原ノ町駅間は
警戒区域内のため運転を見合わせております
と、表示してあります


優れた技術があり、
優秀な作業スタッフがいるJR

地震だけの被害なら
とっくに復旧し、運転されています

線路は繋がっているにもかかわらず
この区間を電車が走ることが
できないのです


いつになったら
運転再開されるのでしょうか

 

 

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皆さんは、久之浜という場所をご存知ですか?
そしてここも震災、津波で
大きな被害を受けたことをご存知ですか?
大変申し訳ないのですが、
私は正直、8m近い津波に襲われた町で
大きな被害を受けていたこと、知りませんでした。

 

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 駅から歩いてすぐの場所です

 

 

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海に向かって手を合わせた後、
このポリタンクに書かれているのを見て
プランターの土を触ってみたら、
十分、湿っていたので
私が訪れる前、そう遠くない頃に
どなたかがお花に
お水をあげにいらしていたのだと思います

 

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ここに故郷あり
稲荷神社

 

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枯草の中、 神社の下で咲いていました

 

 

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津波に耐えた蔵と木

 

 

駅まで戻り、
震災による火災でお店が全焼してしまい、
今年の3月11日に、駅前にお店をオープンした
菓匠梅月さんに立ち寄りました。

柏餅がとても有名なのだそうですが、
この日も柏餅は売り切れだったので、
「波立(はったち)」というお菓子を購入。
このような形をした岩の島が海にあり、
その島をイメージしたお菓子。
そぼろで荒々しい岩を、抹茶で藻を表現している
そうです。

 

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お店のご主人の記事がありました。

こちら 

 

この地区にあった被災してしまった商店などが
近くの小学校の敷地内で、
仮設店舗として営業していて
各地からこちらへ視察に来られているという
浜風商店街へ行きました。

 

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こちらでお昼を食べようと決めていました。
からすや食堂さんに入ると、
お店のお母さんや、お店にいらした地元の方が
「ゆっくりしていって。」と、
温かく迎えてくださいました。

しょうゆラーメンと
地元の方が「餃子が美味しいから食べてって。」と
お勧めしてくれた餃子を頂きました。

この時期、いわきは風が強いのかな?
「電車大丈夫だった?風でよく止まるから。」と
心配して頂きました。

 

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久ノ浜駅前で
風に倒されたと思われる自転車

いわき駅の駅前も
ものすごい突風が吹いていました

 

以前、いわきを訪れた2月も物凄い強風でしたが、
この日も風が強くて、冷えた体に
あったかいラーメンは美味しかった。
パリッ&もちもちした
お勧めの餃子も美味しかったです!

「いわきアリオスで、
石井竜也さんのコンサートがあって・・・」と
お話したら、

「あの人もいろいろと頑張ってくれてるよね。
コンサート、楽しいでしょう。」と。

帰り際に、 

「駄菓子屋さんがあったり、震災の時の写真が
見られるところもあるから、よかったら見ていって。」と
言われたので、
久之浜ふれあい情報館に入りました。

震災時の記録が、たくさんあり、
こちらにいた女性とお話をさせて頂きました。

女性はお隣の四ツ倉にお住まいだったそうで、
震災時、たまたま海の近くにあるお友達のお家に
いて被災したそうです。
真っ黒な波が今でも忘れられないそうです。

久乃浜は大きな津波がきたこともなく、
くることもないと言われていたので
防潮堤も腰くらいまでの低いものだったそうです。
あの日、地震で防災設備がダメになってしまい、
大津波がくることも全く知らされなかったそうです。
第1波も小さかったので、
津波を見に行ってしまった人、
避難した人がペットや物を取りに家に戻った人がいて
そういう方たちが亡くなってしまったとのこと。

50名の方がお亡くなりになり、
今も13名の方が行方不明です。


女性のご家族は皆さん、無事だったのですが、
混乱もあって、どなかたがその女性の家族は
みんな亡くなったと話してしまったらしく、
死亡者のリストにご家族の名前があったそうです。
避難するはずだった中学校も被災していたので、
ご家族はバラバラで、ご家族の方それぞれが
亡くなってしまったのだとばかり思っていたそうです。

途中、二人の男性が入ってこられました。
元々、楢葉町にお住まいで、
今は越谷に避難している方と、
越谷にお住まいだという男性。
越谷の方たちからは畑を借りたりして、
よくしてもらっていてありがたいと。
楢葉町は町民の方が行き来することはできても
住むことはできないんですよね。


元々、過疎化が進んでいた久乃浜。
住んでいた方も高齢者が多く、
お家が被災してしまった方たちは、
車で30分行ったところの
仮設住宅に住んでいるそうです。


仮設の場所が、元いた場所よりも結構便利なので、
戻らないという方もいれば、
地区ごとに移転したわけではないので、
新たな環境の中、コミュニティーができず
やはり久乃浜に戻りたいという方もいるそう。
どちらにしても、町の未来を考えると
若い世代にも住んでもらわないと困るのですが、
放射能の問題もあり、難しそうです。

私が駅に降り立ったとき、
車は通っているのですが、
歩いている人がほとんどおらず、
風の音と、自分の歩くコツコツという靴の音が
響くだけで、本当に怖いくらい静かでした。

復興計画もあるのですが、
どのくらいの方たちが戻ってくるのでしょうか。

また、私が見てきた場所も
ガレキは確かに片付けられていましたが、
その先は何も進んでいないと。
そして政権が変わって、
さらに復興が遅れるのではないかと
その女性は心配されていました。

あと、岩手や宮城など被害の大きかったところは
復興が遅いと言われながらも、
復旧に向けて進んでいる部分もありますが、
久乃浜のように小さな町の復旧、復興は
本当にほとんど進んでいないようです。


仙台でもどこでもそうですが、
いわきも、いわき駅前だけ見ていると、
県外の人間、被災していない人にとって
ここが被災地であるということが
あまり実感できなかったりするかもしれませんが、
久乃浜も同じいわき市です。
でも、地震と津波、両方の被害を受けた沿岸部と
津波の被害の無い内陸部とでは
どちらも被災したとは言え、
やはり違うのだと感じます。

「地震があっても、津波がなければ
まだね・・・。」

石巻に行った時にも聞かれた声ですが、
津波がいかに恐ろしいかを
ここでも知ることになりました。

こちらの情報館にある震災の記録、
お写真や映像は、高台に住んでいて
津波の被害に遭わなかった方が
撮られたものだそうです。

あの日の映像をDVDで見せて頂きました。
映像として残っているのは貴重だと
仰っていました。

そうですよね、
沿岸地区にいた方たちは逃げるのに必死で
記録を残すことなど考えられないでしょうから。

でも、こうして記録を残し、
後世に伝えていくことも大事なことです。

こちらも、様々な情報があって
もっとゆっくり居られたらよかったのですが
お礼を言って後にしました。

そして、いわきへ向かう前に、
久ノ浜の駅員の方に、
鉄道好きの息子が描いた
常磐線の電車の絵と私が書いた手紙をお渡ししました。

本当は広野駅の駅員さんにも
描いてきた絵とお手紙をお渡ししたかったのですが
時間の都合で広野へ行けなかったため、
久ノ浜の駅員さんに預けてきました。

 

私が久乃浜を訪れようと思ったのは、
石巻や陸前高田など、被害が大きかったところは
訪れる方も多いでしょうけれど、
久乃浜のように、
あまりテレビでも取り上げられていなかったり
広く知られていない被災地だからこそ
行くべきだと思いましたし、
風化させないためにも、
少しでも伝えていければと思ったからです。

 

そして、いわきアリオスへ向かいます。


 


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帰宅できましたー [odekake]

 

無事、いわきから帰宅することができました。

朝はね・・・(^_^;)

どうなることかと思いましたが、
コンサートも無事、終了。

てっぺいちゃん、元気ハツラツでした。

昨日のことは、また後ほど。

 

てっぺいちゃん、
昨日は2回公演だったんですよね?

お疲れさまでした<(_ _)>

スタッフの皆様、参加された皆様も
お疲れさまでした<(_ _)>

 

いわき、北茨城の方たちが
楽しいひとときを過ごされたと信じて。

私も、またいい出会いがありましたので
いわきに、また来たいです!!

東北は、いいなぁ。
いつも人の温かさに触れて帰れるから。

 

 


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福島の子どもたちと共に生きる マクシンスキー特別講演(長文です) [odekake]

 

昨日、北沢タウンホールで行われた
チェルノブイリ被災地の子どもたちのための
保養所「希望21」で20年、所長を務めていらっしゃる
ヴャチェスラヴ・マクシンスキー氏の特別講演会に
参加しました。

第1部に、マクシンスキーさんの講演。
第2部に、広河さんが球美の里で撮られた
お写真などを見せて頂きながら、
球美の里のご報告がありました。


まず、マクシンスキーさんの講演の前に、
球美の里で保養に参加したお母さんたちが
参加した感想をお話してくださった
映像が流れました。

外遊びができず、ストレスをためていたお子さんが、
球美の里で、思いきり外遊びができて
表情がガラッと変わったことや、
他のお子さんも、放射能の問題以前でも
裸足になって遊んだことがなかったのに、
球美の里では裸足になって遊んでいたことなど
お話されていました。

 

そして、マクシンスキーさんの講演が始まりました。

最初に、ベラルーシ共和国の簡単な説明。
チェルノブイリ原発事故による
汚染状況の説明がありました。

ベラルーシの国土の23%は、
1キュリー/㎢以上のセシウムによって汚染。

※1キュリー=370億ベクレル
(現在、放射能の単位はベクレル)

事故処理の際に当たった作業員の多くは、
たった1枚のマスクで作業に当たったので、
作業員の多くが大きく被曝。

ベラルーシ各州の子どもたちに
小児甲状腺がんが発症。
首都ミンスクでは、事故以前と比べ
事故後、1986年―1997年で30倍以上も
患者が増えました。

1986年の事故当時、0~14歳だった子どもの
病気の発症のピークは、1995年―1996年。
事故の10年後です。

特に、事故当時5歳未満だった子どもの発症が
一番多かったのです。

旧ソ連から独立したベラルーシは、
国際的な支援もありましたが、
事故後の対応は自力で行わなくてはならなくなりました。

国外への避難、保養も行われましたが、
長期的な保養が必要なのと、
国外への保養では、
環境が変わることで受けるストレスもあるので、
国内に保養施設を作ることになったそうです。

ベラルーシでは1991年に、
・5キュリー/㎢以上の汚染地区に居住する子どもは
1年に2回の保養、

・1~5キュリー/㎢の汚染地区に居住する子どもは
1年に1回、

・汚染地区ではないところに住み、
汚染地区の学校に通う子ども

無料で保養を受けられる権利を法律で決めました。

しかし、法律が制定されてから実施されるまでには
2年もかかったそうです。

事故から6年後の1992年
ベラルーシとドイツの共同慈善企業が、
保養施設「希望21」の設立に向け動きます。
パートナーとして、広河さんが設立された
チェルノブイリ子ども基金」も加わり、
ベラルーシの非常事態省、国も関わっていて、
財源の80%は国の負担です。

保養施設の建設場所は、
大都市、高速道路から離れた場所にある、
森林・水資源保護地区とし、
1時間あたり、4~6マイクロレントゲンの
正常な放射線量の環境である場所としました。
広河さんも保養施設のできる場所を
実際に訪れていらっしゃいます。

そして、建設の際には
設計や建設、燃料などの専門チーム、
医療チーム、教育チームなど
専門的な鑑定集団も加わりました。

子どもセンターの物質的、技術的基盤の為の
主な取り組み方として、

・汚染の無い資材による建設

・自然環境を守る など

・子どもの受け入れは、

 5キュリー/㎢(今は1キュリーから受け入れ)以上の
 汚染地区に居住の子ども、10-14歳(今は6-18歳)と、
 学校のクラス担任の付き添いと共に、
 グループで来る学童たちを受け入れる

 特に、汚染地区に住む障がいのある子どもは
 優先的に保養を受けられる

・1回の保養が24日間のため、
家族と離れて過ごすことでのストレスを軽減

 

基本概念としては、家の基礎と同じように、
土台に、保養から帰った後も健康を維持、
促進するための基本プログラムがあり、
「医療」、「教育」、「心理」の3つの柱によって
屋根に当たる「健康」を支えるというもの。

「医療」では、

・健康促進

・諸器官と組織の向上
 (特に気管支、肺器官機能の向上)など

 

治療としては、
アロマテラピーやシャワー、温浴療法など
自然を利用した処置と、
マッサージや医薬品などによる治療などがあるそうです。


「教育」面では、

・規則正しい生活を身に着けさせる

・自然教育、クラブ活動などに参加させるなど

 

「心理」

健康は、体の健康だけではなく
心身が共に健康であることが重要とのことから、
個人差に合わせたプログラムを用意。

・芸術療法

・遊びを通した療法

・リラクゼーションなど

この目的は、精神的ショックの克服を学んだり、
人生を前向きに捉えられるようにするなど。

 

「希望21」に滞在した子どもたちの病気で
一番多いのが、呼吸器官と鼻、咽頭の病気で
様々な病気全体の約3割を占めています。
続いて、骨・筋肉系の疾患が全体の15%

施設での食事は、バランスのとれた食事を
心掛けていて、
放射性物質の蓄積を制限し、
排出を強化する食事、抵抗力を強化する食事、
安全な土地で栽培された野菜や果物による
1日6回の食事を提供。

しかし、保養を受ける権利がある子どもでも、
今でも汚染地区に住み、汚染された食べ物を
食べている子どもがいるとのこと。

 

保養の際に健康診断をし、
保養を終える際にも、健康診断をするそうで、
保養後、明らかにその効果があった子どもは、
診断した子どもの95~98%にもなるそうです。

いかに、被曝した子供たち、
また、汚染地域に住んでいる子どもたちにとって
保養が健康改善に良い効果をもたらしているか、
科学的データでも証明されているのです。

現在、ベラルーシ国内には9つの保養施設がありますが、
保養を受ける権利がありながら保養しない子どもたちが
年々増えていて、
60%強の子どもしか保養していないそうです。

保養施設の設立、運営には、
市民、政府による全面的が支援が必要
だと
最後にお話されていました。

 

1時間半程の講演会。
マクシンスキーさんはお水を飲むこともなく、
お話をしてくださいました。

 

15分の休憩を挟んで、第2部は広河さんによるお話。

先にマクシンスキーさんがお話された
「希望21」設立への支援に協力する際、
建物は、改修したりしてできるけれども、
中身は何もない。
設備や教育の面で日本に協力してほしいと
言われたそうです。

チェルノブイリ事故後、
最初は、医薬品や食品測定検知器を送ったり、
フランスへ子どもたちを保養に行かせたり
していたそうですが、
国内に保養施設を作ることになり、
子どもたちの保養、
小児甲状腺がんの子どもたちの救援に
特化することになったそうです。


1991年にIAEAが事故による小児甲状腺がんの
子どもはいないとの発表に反対をしていた
女性医師と広河さんたちが協力して活動。
後に、小児甲状腺がんの子どもたちの増加を
IAEAが認めるまで、大変だったそうです。

 

保養施設を国も支援しているのは大きく、
ベラルーシの場合、子どもたちの保養のために
強固な決意をもって動いた政治家がいたのだそう。
ここが、日本とは決定的に違うところ。

この後、他にはあまり出していないという
広河さんのお写真をたくさん見せて頂きました。

中でも私が印象的だったのは、
ジャーナリストと、放射線の専門家が話をしている
お写真。
日本同様、どこでも専門家たちというのは、
放射線による人体への影響を軽視していて、
広河さんが訪れたどの国でも、権威者の言うことより、
汚染地区に住んでいる女性の声の方が正しいと
仰っていました。

 

そして、「球美の里」の紹介として
映像を見せて頂きました。

海の見える図書館。
入口を入って左側に本館、右側にピラミッド型の登り窯。
ベランダからは朝日や夕日が綺麗に見えます。

食事は、基本的にその土地のものを食べさせていて、
放射能の測定もします。

セラピストの方も常駐し、ヨガなどもしているそうです。

「球美の里」にいらっしゃるお医者さんたちも
皆さん、ボランティアできていて、
福島では、甲状腺の検査をしても
データは福島県医大などに集められ、
渡してくれませんが、
球美の里では、検査の結果を渡してもらえます。


幼い頃に自然に触れるという一番大事な情操教育が、
福島の子供たちは奪われているので、
球美の里では、なるべく海へ連れて行ったり、
川で遊ばせたりしているそうです。

町営の施設などは無料で
使わせてもらうことができるなど
久米島は町を挙げて協力してくれているのに、
国からの支援は一切ありません。


再度、言います。

国からの支援は一切ありません。

「球美の里」の建物の改修などにかかった
5000万は、全て募金で賄われています。
もちろん、この募金には
てっぺいちゃんが立ち上げたMIND from MIND
通じて、多くのファンの方々も預けられた
大切なお金も含まれています。

「球美の里」での子どもたちの様子は
DAYSの誌面でも見ていましたが、
映像として、子どもたちの生き生きとした表情、 
裸足で走りまわったり、子ども本来の姿を見て、
溢れる涙を抑えることはできませんでした。

沖縄ではできる裸足で走り回ることも、
海や川で遊ぶことも福島ではできない。
自然豊かで美しい福島を
そんな場所にしてしまったこと、
国も東電も、どう考えているのでしょうか。


「希望21」の設立に携わってきた広河さん、
元々ある建物を利用して作り始めたことや、
最初の保養人数も「希望21」が60人
「球美の里」が50人と、
スタートがよく似ているとのこと。
ただ、「希望21」は未就学児の受け入れはしておらず、
「球美の里」では、未就学児も受け入れていますが、
保養参加者を決めることに、
東京や久米島の事務局はタッチしておらず、
いわきの事務局、現地で決めています。
現地で決めているというのが大事なところですね。

ベラルーシのように、
学校のクラスごと受け入れての移動授業を
行ないたかったけれど、福島の現地が
汚染されていると認めたがらない国の事情もあり、
移動授業は難しかったのだそうです。
でも、来季から移動授業を始められるとか。
その為には、
スタッフの人員も確保しなくてはならないし、
大人数を受け入れられる施設も必要なので、
今は、そういったことを話し合っているのだそうです。

ライティング・オブジェの点灯式でのトークショーでも
お話していらっしゃいましたが、
「球美の里」はある程度の実績は、作ってきたけれど、
絶対に失敗するわけにはいかないと仰っていました。
成功することで、保養施設が必要なものだということを
認めさせなければならないということです。

第2.第3の球美の里が必要で、
今は、過去の救援運動から学ぶ時期だと
最後にお話していらっしゃいました。

 

「希望」をつくりたい

広河さんのその言葉が、
強く、強く、心の中に残っています。

 

広河さんも仰っていますが、
国が支援してくれるのを待っている時間は
子どもたちにはないのです。

国が何もしてくれないなら、
私たちが立ち上がるしかない。

第2、第3の球美の里が日本につくられるよう、
私も、できる限りの協力をしていきたいと
あらためて思いました。

 

会場では、宮崎駿さんがデザインした
球美の里のシンボルマーク入りのTシャツや
トートバッグの販売、DAYS JAPANのバックナンバーや
広河さんの写真集なども販売されていましたが、
全て持っているので、
球美の里で保養した子どもたちが描いたという
シーサーの絵のポストカードと、
DAYS JAPAN10月号の表紙にもなっている
広河さん撮影のお写真のポストカードだけ
購入しました。

 

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ウレシ―サー

かわいいでしょー(^^)

 

 

受付や物販のスタッフの方たちも
皆さん、ボランティアの方々です。
それぞれが、できることで協力していく。
一人の力は小さくても、
それが集まれば大きな力となるはずですよね。

子どもを守れるのは、大人しかいません。
事故から10年後、ベラルーシのように
病気の子どもたちが急激に増加していたということが
福島の子供たちに無いように、
子どもたちの心身の健康のために
私たちができることを、していきましょう。

 

〇 沖縄・球美の里

 

 

※蛇足

広河さんのお話の中で、
ある人たちのことを
「連中・・・あ、連中なんて言っちゃった(笑)」
みたいなことを仰って、訂正してお話を続けられて、
会場が笑いに包まれたところがあるんですけど、
いろんな憤りなんかも、
もちろん、広河さんもあると思うんです。
でも、言葉の重みを知っているということは、
ご自身の立場もよくお分かりだということだと
思うんですね。

以前、行われた白鳥さんとてっぺいちゃんのトークショーで
白鳥さんが、
「自分が嫌いだと思う人ともつながりを持っていれば、
いざ、手助けや協力が必要な時に、
そのつながりが役に立つ」みたいなお話があったのですが、
やっぱり、敵は少ない方がいいですよね。

広河さんが激しく感情を出してお話するところは
私は見たことがないですし、
トークショーでゲストに来られても、
振られるまでじっと聞いていらっしゃることが
多いですね。

でも、講演会などで「伝える」ということが
目的の場合、
言葉はいつもたくさんあって、
メモが全然、追いつかないのですが(^_^;)
端的に話されるその言葉に
ハッとさせられることが多いです。

 

先日のトークショーでは、
「自分は普通だと思っている」とお話する広河さんに、
「そう思っているのはご自分だけ」と
てっぺいちゃんは突っ込まれていましたが、
広河さんは、普通だと思います。(^^)
戦場に居ても、私たちと同じように
恐怖を感じながら戦地にいらっしゃる。

その「普通」の感覚がいかに大切か、
それが無くなってしまったら、
ああいう連中・・・失礼(^_-)-☆
ああいう人間たちになってしまうのでは
ないでしょうか?

 


 


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今日もお出かけ 2 [odekake]

 

仕事の後、投票に行ってきました。

選挙公報も家で読んではみたものの・・・
今より良くしてくれる人、良くしてくれる党
など期待できないので、
せめて今以上、悪くならないように・・・
こんな判断基準ではいけないことは
分かっていますが、
そんな気持ちで選びました。

 

さて、夕飯の支度をして、下北沢へ行ってきます。
マクシンスキーさんの講演会。
選挙より、こちらのほうがずっとずっと大事です。

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〇 DAYS JAPAN

 

 


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丸の内&六本木 [odekake]

 

一昨日の点灯式に続き、
今日もTOKIAへ行ってきました。

 

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てっぺいちゃんの作品

「TOMORROW」

 

 

ライティング・オブジェのワークショップ、
「光の箱」をつくろうに参加しました。

時間があるようで無くて、
あまり考える暇もなく作ってしまいました。

仁木さんもいらっしゃって、
くまモンのぬいぐるみを持っていらっしゃったり、
マフラーかな?巻いていらしっしゃいました。

仁木さんを凄いなぁと思うのは、
イベントの主催者でありながら、
自らスタッフとして現場で動かれていること。
ワークショップでも、
率先して動いていらっしゃいました。


今日の夕方からTOKIAに展示されているようです。
作り終わった後、作品を作った人が
くまモンと一緒の写真撮影会がありました。
握手もしてもらいましたが、
しっかり人間の手だったー(笑)
くまモン体操の歌を覚えた息子が、
くまモンに「あとぜき♪」と言ったら、
あとぜきのポーズをしてくれました(^^)
可愛いー[揺れるハート]

 

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 こちらは、
仁木さんに、光の箱を持ってと言われ
箱を持ってポーズ

 

この日のワークショップは3回あって、
くまモン、朝から夕方までずっとTOKIAで
大変だったことでしょう。
くまモン、サービス精神たっぷり。
ありがとうね。


作品は展示終了後、25日に返却してもらえるとのこと。
作品を写真に撮れなかったので、
25日にまた行こうと思います。

 

そして、TOKIAから新有楽町ビルへ移動。
鉄道カフェ&バー スチームロコモティブへで
おやつを頂きました。

 

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ドクターイエローケーキ

マンゴームースのケーキです

 

鉄道で、息子に機嫌良くなってもらって、
六本木へ。

 

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WHISHY HILLS 2012の
シンボルオブジェ

 

 

 

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グランドハイアット東京の
ロビーに展示されている
てっぺいちゃんのオブジェ
「GRANDIA」

この時は、キャンドルに
あかりが灯っていませんでした

12月26日(水)までの展示です

 

 

 

今日のGROUND ANGELコンサート会場にも
オブジェの展示があったでしょうか?
やっぱり、希望や未来が感じられるエンジェルは
心が和みます。

ライティング・オブジェの作品は
昼と夜とでは、印象が違って見えますね。
やはり夜、暗い中で灯る光のオブジェのほうが
作品が引き立つ気がします。

25日の夜に、また見に行こうと思います。


 


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今日もお出かけ [odekake]

 

昨日は新月で、
ふたご座流星群も見られたんですね。

一昨日には、息子と南の夜空を見上げながら
オリオン座を見ていました。

 

さて、

昨日のライティング・オブジェ、点灯式や
広河さんとてっぺいちゃんのトークショーの様子は
夜にでも記事をアップしたいと思います。

今日は、アップリンクに行ったり
ちょっと出掛けてから、仕事へ行ってきます。

 

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昨日、帰宅したら
DAYS JAPAN定期購読者の特典、
広河さんのお写真のクリアファイルが
届いていました。

こちらのお写真は、
1993年、ベラルーシで広河さんが撮影された
チェルノブイリ原発の北60キロにあるホイニキ
という町の母子のお写真です。

 

通常購入より割引して頂いているにもかかわらず、
このような特典まで、ありがとうございます。

 

 


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茨城マルシェに行ってきました [odekake]

 

銀座一丁目に新しくオープンした
茨城県のアンテナショップ、
茨城マルシェ」に行ってきました。

有楽町線 銀座一丁目駅3番出口を出てすぐ、
沖縄県や高知県のアンテナショップの並びにあります。

お店の広さは、以前の黄門マルシェに比べると
コンパクトになった感じがしましたが、
店内のディスプレイなどがオシャレになりました。


 

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以前、飲んで美味しかった「ひとみにんじんジュース」と、
ひたちなか市の幸田商店さんの
「丸干し干しいも」を購入しました。

「ひとみにんじんジュース」、本当に美味しいです。
エコファーマー認定の渋谷さん(行方市の生産者さん)が
作っていらっしゃる「ひとみ五寸にんじん」100%で
作られたジュースです。
お砂糖も添加物も使っていないので、
人参そのものが美味しくなければ、
出ない自然な甘さがいいです。

そして、茨城県の名産の一つ、干しいも。
昔から大好きです。
子どもの頃、ストーブの上にアルミホイルを敷いて
その上に、母が干しいもを乗せて温めて
おやつに食べさせてくれていました。

干しいもは、平切りのものが多いですが、
丸干しが珍しかったので、買ってみました。
もちもちとしていて、こちらもお芋の自然な甘さが
美味しいです。
子どものおやつとしても、スナック菓子を与えるより
こういうものの方が、いいと思います。


大子町に12/9までの期間限定でオープンしている
おいしいさとやまレストラン
(広尾の「ACQUA PAZZA」オーナーシェフ
日高さんのレストランです) で提供されているという
「干し芋モンブラン」が、
茨城マルシェのレストランでもいただけたり、
ショップには「ほしいもプリン」も売っていました。

そのまま食べても美味しい干しいもですが、
ちょこっと洋風にアレンジしてスイーツを作ってみたくなり、
ただいま考え中です。

レストランで食事もしてみたいですし、
また後日、伺ってみようと思います。

 

 

◆ 茨城マルシェ

 

 


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2012 秋を満喫 [odekake]

 

昭和記念公園に行ってきました。

GWや紅葉を見られるこの時期に
行くことが多い所です。

風は冷たかったのですが、
お天気は良く、サイクリングも気持ち良かったです。

 

 

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息子が撮りました

 

 

 

 

 

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雲ひとつない空に

すーっと流れてきた雲

kyono sora

 

 

 

 

そして、この時期だけのお楽しみと言えば・・・

 

 

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キリン一番搾り とれたてホップ

仙台工場が復旧した昨年から

もう一年が経ったのですね

昨年も、とれたての東北を

美味しく頂いていました

 

ホント、フレッシュで

ビールが苦手な私でも飲みやすい

好きなビールです

 

秋田名物 きりたんぽ鍋と一緒に

今年も

とれたての東北に乾杯!

 

 

 


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今日しかない今日のために [odekake]


無事に学校の仕事も終わり、
息子の夕食の支度も済ませたので、
渋谷へ向かいます。

広河さんのお話を聴いてきます。























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